みなさんこんにちは。
会津戦争をみなさんご存じでしょうか?幕府軍と新政府軍との戦いである戊辰戦争の一環である会津戦争の中で有名になった白虎隊。今回は会津若松にある白虎隊をご紹介したいと思います。
白虎隊とは?
白虎隊とは戊辰戦争の中で会津藩が武家男子を集めた少年隊です。もともと白虎隊は予備兵力として編成された部隊でした。しかし戦況が劣勢になるにつれて白虎隊は後方から前線に投入されていきます。激戦の末、飯盛山に敗走した2番士中隊20名が鶴ヶ城から黒煙が上がっているのを見て落城したと思い自害したのは有名です。
若松城
若松城は1384年に築城されたお城です。1868年の戊辰戦争では新政府軍の攻撃に1ヶ月ほど耐えたのが有名です。最後は板垣退助による降伏勧告を受諾して9月22日に開城しました。
頂上に着くと会津若松の街並みが見渡せます。
見学料は大人410円小人150円となっています。
旧滝沢本陣
次は白虎隊が待機していたされている、旧滝沢本陣です。
参勤交代などで休憩所として使われていた場所で戊辰戦争時に藩主の松平容保が一時期指揮を執っていた場所でもあります。当時この建物で新政府軍との銃撃戦が起こり建物の柱などには弾が貫通した跡や刀の跡が見られます。
現在は国の重要文化財に指定されています。
当時のまま保存されているため、先ほどの説明にもあった、弾が貫通している柱や刀の跡などがくっきりと残っているためとても見所が多い場所です。
料金大人400円高校生300円中・小学生200円子供100円
飯盛山
最後に訪れたのが白虎隊の最後の場所です。
白虎隊が自刃した場所としられる場所でして白虎隊のお墓がここにあります。
- 白虎隊19士の墓
自刃した隊士19人がこの地で眠っています。100円ほどで線香を購入してガスコンロで火をつけるというワイルド仕様
線香を中央部分にあるところに置いて手を合わせました。
- 白虎隊が自刃した場所
白虎隊隊士が自刃した場所と言われており、白虎隊の石像が向いている場所は鶴ヶ城となっています。
隊士がここから鶴ヶ城が燃えていると思い自害したと言われていますが、実際にここから見てもらえればわかるのですが、鶴ヶ城を目視で見るのは少し難しいです。なので実際には城下町が燃えているのを勘違いしてしまったのではと言われています。
- 会津藩殉難烈婦
会津藩殉難烈婦の碑です。会津の戦いでは男性だけではなく女性も戦っていたとされていて、有名なのは大河ドラマにもなった新島八重です。
- イタリア記念碑
イタリアの独裁者ムッソリーニが白虎隊の話を知り、感動したことから記念碑が送られました。
この記念碑はポンペイ遺跡から発掘された本物の石柱が使われているそうです。これを調べた時の私はすげー物を記念碑にしたなと感じました…
上部にはローマ軍の象徴である青銅の鷲が立っています。
まとめ
いかがだったでしょうか?白虎隊というのは知っていましたが詳しくはなくこういった実際に現地に行ってどういった経緯や行動などを学ぶことも旅行の楽しみだと改めて思いました。
今回撮った写真は全部載せていません。それはやはりご自身で行って確かめてほしいので。
白虎隊だけではなく色んな見どころがあるのでぜひ訪れてはいかがでしょうか?
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